チャーガの歴史
ここ数年、代替医療の世界は、最北端の地域で採れる強力な薬用キノコ「チャーガ」が大きな話題となっています。昔から何世代にわたり、アラスカやシベリアの人達の間で民間療法として使用されてきたチャーガには、免疫系の向上、消化器系の助け、がんの撃退、若返りやその他の効果があると言われています。チャーガが世界中に広く知れ渡るようになったのはごく最近のことですが、このキノコの歴史は数千年前まで遡ります。
チャーガの歴史、そして、いかにしてこれほど人気のあるスーパーフードになったかを知りたい方は、ここから先を読んでください。
チャーガの歴史
冒頭で述べたように、チャーガは太古の昔から何世代にわたり、アラスカやシベリアの先住民の間で使用されてきました。アラスカやシベリアの人達がチャーガを万能薬として栽培し始めた正確な時期は、まとまった有史時代が存在しないため分かっていません。しかし、チャーガの歴史において取り上げるのに値する数々の出来事があります。
薬草としてのチャーガの使用は、少なくとも紀元前3400年に遡ります。1991年にオーストリアのアルプスで発見された保存状態の良いミイラ「エッツィ」は、紀元前3400年から紀元前3100年の間で生きていたと考えられており、ポーチにチャーガを入れて持ち歩いていたことが分かっています。エッツィが属していた部族は特定できませんが、一般的に、西シベリアのハンティ族がチャーガを初めて薬用に使用したと認められています。
ハンティ族は、チャーガの数々の使い方を発展させ、現代世界での普及を予見していまいた。腸の健康のためにチャーガティーを飲んでいたことで知られており、デトックス(解毒)を行う時期にはチャーガティーで消化管を綺麗にしていまいた。また、チャーガに灰とラードを混ぜて、炎症を抑えるチャーガ石鹸を開発しました。これに加えて、チャーガをいぶして吸って、肺の健康につながると信じていました。
チャーガは、長旅に伴うエネルギー増進を目的に使っていた狩猟者や商人を通じて、徐々に北アジアの様々な国の人や部族の間で広まっていきました。最終的には東欧と後にロシアとなる中世のキエフ大公国まで伝わりました。ロシア人は徐々に自分達でチャーガを取り入れ、その中には、チャーガのおかげで唇の腫瘍を除去できたと信じるキエフ大公国のウラジーミル2世モノマフがいました。
同時に、チャーガはアジアと北米、特に冬虫夏草といったキノコを薬用に使用する長い伝統がある中国に普及していきました。三世紀に書かれた農業と園芸に関する中国の書物『神農本草経』の中で、チャーガは様々な効能のある「薬草の王様」と称されています。原書は残っていませんが、チャーガは中国で民間療法に使用され続け、後にはチンギス・カンとモンゴル人の侵略を通じてアジアとヨーロッパの様々な地域に普及しました。
1950年代、ソ連はチャーガの薬効に関する長期的な研究を開始しました。チャーガの民間療法としての有用性は何世紀にもわたってロシアの文化に根付いており、チャーガの研究は1940年代後半にポーランドで限定的に行われていましたが、チャーガの働きを科学的に理解しようとする初めての大規模な試みでした。研究では良い成果が出て、チャーガはその免疫力を高める特性から、ソビエトの病院で一般的な治療法として使用されるようになりました。1955年にはロシア医学アカデミーによって正式に治療法として認められました。
このような研究にもかかわらず、1968年にロシアの作家アレクサンダー・ソルジェニーツィンの小説『ガン病棟』の英語版が出版されるまで、チャーガはソ連と中国以外ではほとんど見過ごされていました。ソ連のがん病棟でのソルジェニーツィン自身の体験に基づいた自伝的小説で、ソ連の医学におけるチャーガの抗がん剤としての使用について詳細に描かれています。ソ連の反体制派として人気を博したソルジェニーツィンの影響で、西洋医学研究者の間でチャーガへの関心が高まりました。
『ガン病棟』の出版後、科学者や医師たちはチャーガの薬効を調べるためにソ連へ足を運ぶようになり、ソ連の大部分の地域では、がんの罹患率が世界の平均よりもはるかに低いことが分かりました。研究者たちは、これはソビエトの農民が、高価なコーヒーの代わりにチャーガティーをたくさん摂取していたことに起因すると結論づけました。科学者たちはまた、ソ連の診療所でチャーガが正式ながん治療薬として使用されているのを見て驚きました。
冷戦の影響で、西側諸国では当初、チャーガの使用は期待できないと思われていましたが、研究者たちはすぐにアラスカでもチャーガが自生していることを発見し、シベリアのチャーガと同じくらい、またはそれ以上の栄養価があることを突き止めました。『ガン病棟』の出版とソ連崩壊以降、チャーガの効能や効果についての研究が盛んに行われるようになった。意識の高まり、輸送網の発展、そしてインターネットの普及により、チャーガは自然のままの状態で収穫され、世界中の人達にむけて出荷されるようになりました。
まとめ
シベリアの人達がチャーガを民間療法として使用するようになった正確な仕組みはまだ分かっておらず、歴史を遡っても資料が不足しているため、おそらく明らかになることはないでしょう。しかし、チャーガがこれほどまでに長く愛され、急速に広まっていったのは、チャーガの効能が本物だからです。アラスカの先住民からロシアの皇帝、ソビエトの科学者まで、チャーガはまさに知る人ぞ知る北半球の宝です。
世界中でチャーガの人気が高まり、科学者たちがその秘密を解明しようとしている今の段階で、数年後にチャーガに関して何が明らかになるかは誰にも分かりません。唯一分かっているのは、チャーガが癌から老化まで、あらゆることに対する万能薬となる奇跡の食べ物としての地位を獲得しているということです。チャーガがなぜ世界中の人々に、そして時を超えて愛用されてきたのかを知りたいのであれば、今がまさにチャーガを試す絶好の機会です。